2011年3月11日。「日常」が終わり、「新しい日常」が始まったのかもしれない。
ごく普通の金曜日だった。都内の高層ビルの24階で、あの揺れを経験するまでは。
交通手段は回復しそうもなく、結局その日は安全が確保されている職場で夜を過ごすことになった。窓からは市原のコンビナートが火柱を上げて燃えている様子が見えていた。
TwitterのTLで、Youtubeで、ワンセグの画面を通して東北を襲う津波の様子が伝わってくる。黒い怪物が地面を這い回り田畑を家を船をビルを次々飲み込んでは押し流していく。自分の身は安全なだけに、どうにも現実には思えなかった。
翌朝、いつもの倍ほどの時間を費やして家に辿り着いた。家屋も家族も、まったく無事だった。
それからTwitterで被災地に役立ちそうな情報を見かけると、出来る範囲で情報の真偽を確かめてはリツイートするのが習慣になっていた。「新しい日常」に少しでも抵抗したかったのかもしれない。
今日も余震が起きた。原発の危機はまだまだ予断を許さない。それでも…